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これからのプログラミング教育(2)〜プログラミングにまったく触れたことのない人へ〜

さて、前回の続きです。

前回の最後で、私は「プログラミング教育を通して、教育の概念を変える。」と言いました。

きっと、4年前の私(プログラミングをまったく知らなかった)のように、

それは言い過ぎじゃない?たんに、(他の教科と同列に)必修化になるだけじゃん

と突っ込んだでしょう。
そんな方へ、読んでいただきたい本があります。



2ヶ月前に出た本なので、書店にまだ並んでいるかと思います。

ぜひ、手にとって読んでいただきたい。

ネタバレになるので、 
ここでは、共感点と疑問点を、簡潔に述べます。

賛成
プログラミングは全ての教科に通底する考え方がある。



はい。一番大切なことです。
理系(数学や物理、生物)での実践的な使用例はともかく、 文系(特に国語)教科とプログラミングがどう結びつくのか。 それは、大げさに言うと、

これまでの価値観が崩壊し、人々の生き方が多様になるにつれ、新たな価値を持ち出す ということです。

例えば、次のような流れがあります。
(1)これまでは当たり前のように人の手で行われていたことが、消えていく。 (他にも、きっかけは数多く考えられます)

(2)それに伴い、これまで当たり前と思われていた「常識」が、必ずしも正当なことではなくなる。

例えば、「知的」であるということは、今の使われ方で良いのでしょうか?
「知的」というのは、今でいえば「情報を多く蓄積している」とか、「情報を素早く処理できる」といったことに使われます。
でも、それば「データベース」や「CPU」の仕事と変わりないでしょう。

(3)プログラマ思考で、社会(一般常識)を「デザイン」する能力が問われていく。

詳しくは、著書にあたっていただきたいのですが、

理系としてのプログラミング思考だけでは社会の変化に必ずしも対応できない。
ということです。
一例として、著書では、会社を長く経営できている経営者には、プログラミング経験者が多いとして、
「会社経営やリーダーとしての素質をプログラミングで磨くことが可能である」ことが挙げられています。



疑問
プログラミングは、どんどん簡単にできる。
今後、ビジュアル言語が主流となる。



著者のこれまでの仕事に、文句をいうわけではありません。

ただ、教育で必要なことは、結局のところ

「ひらめき(アハ体験)を多く経験させる」

ことだと思います。

ビジュアルプログラミング(処理の流れをブロック単位でビジュアライズしたソースコードのいらない言語) と、呪文のようなプログラムで書かれた言語は、わかりやすさから言えば当然前者でしょう。

でも、

与えられたものだけでわかってしまうというのは、結局能力のごくわずかしか使っていないのです。
簡単にわかる水準のところで能力を出すことしかしていないのです。
わかるというのは本来そんな簡単なことではありません。

また、プログラミングは、あくまで完成作品の「プロセス」であるため、そこに多様性をもたせた方が良いと思うのです。

例えはおかしいかもしれませんが、
ソースコードで記述されたプログラムは、原材料から吟味されてできた料理。
ビジュアルプログラミングは、既製品を元に作られた料理。
というような?

次回につづく...